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はじめての『教行信証』(その31) ブログトップ

2013年8月28日(水) [はじめての『教行信証』(その31)]

 更新が遅れました。
 浄土の教えは無量寿経に説かれていて、その内容は弥陀の本願と名号に尽きると言っているのですが、こんな短い叙述で済ませていいのだろうかと思います。先ほども言いましたように、教巻というからには、そこに浄土の教えについて、おおよそのところでも説かれているに違いないと思うのが普通でしょうから、これではあんまりではないかと感じるのです。
 浄土の教えは無量寿経に説かれているというのなら、無量寿経の一番大事なところだけでも示してほしいとも思うのですが、この後に引用されているのは、経の序説の一部で、まだ本題に入る前の部分です。この部分から浄土の教えの片端でも掴み取るのは不可能というものです。
 これはどういうことでしょう、この事態をどのように理解すればいいのか。
 ここで立ち止まって考えなければならないのは、「浄土の教え」というのは何かということです。仏教というのは言うまでもなく釈迦の教えです。そして釈迦の教えは何かと言われたら、それは「諸行無常」であり、また「諸法無我」であると答えるでしょう。もっと丁寧に答える時には、いわゆる四諦(四つの真理)を上げて、その一つひとつを解説するでしょう。では「浄土の教えとは?」と問われますと、…はたと困ります。無常や無我や縁起に相当するものが見当たらないのです。
 そもそも無量寿経というのはどういう経典でしょう?

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