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はじめての『教行信証』(その34) ブログトップ

2013年8月31日(土) [はじめての『教行信証』(その34)]

 アインシュタインは相対性原理を掴んだ、と言っていいでしょうが、釈迦が縁起という真理を掴んだ、という言い方には何か抵抗があります。むしろ、こう言った方がしっくりきます、縁起という真理が釈迦を掴んだ、と。釈迦が手を伸ばして縁起という真理を掴み取ったのではなく、縁起という真理が釈迦をムンズと掴み取ったのです。
 もし釈迦がみずから縁起という真理を掴み取ったのでしたら、それをそのまま公にすればいいことです、アインシュタインが相対性原理を発表したように。でも、逆に縁起という真理に掴み取られたとしますと、それを自分が得たものとして語るわけにはいきません。
 では、どうすればいいか。
 釈迦は悟りの体験の後、周りからどんな悟りを得たのかと尋ねられても、なかなか答えなかった(答えられなかった?)と言われます。それは、自分に起こった不思議な出来事をそのまま語っても、受け止めてもらえないと危惧したからではないでしょうか。自分の手で掴み取ったものでしたら、どのようにも噛み砕いて語ることができるでしょう。しかし、何だか知らないが、あるとき向こうからやってきたものに鷲づかみにされたのです。これをどう語ればいいのか。
 そう言えば、ヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていたムハンマドに突然啓示が下ったとき、彼はわなわなと震えながら帰宅し、妻ハディージャの膝にしがみついたとされます。ムハンマドに不思議な声が聞こえたように、釈迦にも何かが聞こえてきたのではないでしょうか。そしてムハンマドが妻に励まされながら啓示の内容を語り始めたように、釈迦も梵天の勧請を受けてついに語り始めます。初転法輪です。

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