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2013年9月18日(水) [はじめての『教行信証』(その52)]

(3)「なむあみだぶつ」のリレー
 聞名と称名の関係について考えてきましたが、『無量寿経』の次の文がすべてを語ってくれています。
 「その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せむ」。あるいは「それかの仏の名号を聞くことを得ることありて歓喜踊躍して、乃至一念せむ」。
 まず諸仏の称名があります、「なむあみだぶつ」(「来たれ、救おう」)と。その「こえ」がふと聞こえてきて、われらのこころには歓喜があふれます。そしてその喜びが「こえ」となってほとばしりでる、「なむあみだぶつ」(「あなたにしたがいます」)と。
 「信心歓喜せんこと、乃至一念せん」といい、「歓喜踊躍して、乃至一念せん」という言い回しが、諸仏の「こえ」が聞こえてくることとわれらの「こえ」が口をついて出ること、聞名と称名とが切り離しがたく結びついていることをよく表しています。
 聞名があって、しかる後に、称名があるのではありません。聞名がそのまま称名となっているのです。どこからか「来たれ、救おう」の「こえ」がするとき、この「こえ」は一体何だろう、どこから聞こえてくるのだろう、これを信じていいのだろうか、などといろいろに詮索し、よし信じてみようと決断して「あなたにしたがいます」と答えるのではないということです。
 「来たれ、救おう」の「こえ」に、思わず「あなたにしたがいます」と応じるのです。いや、気がついたときには、もうすでに「あなたにしたがいます」と応じてしまっている。

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