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はじめての『教行信証』(その58) ブログトップ

2013年9月24日(火) [はじめての『教行信証』(その58)]

 「幸せになりたいなら善いことをせよ」は、「善いことをする」が原因で「幸せになる」が結果ということが前提となっています。しかし「善いことをすれば幸せになる」はと言いますと、必ずしも「善いことをする」が原因で「幸せになる」が結果という意味ではありません。そういうことを言っているときが多いでしょうが、そうではない場合もあるのではないでしょうか。
 どんな場合か。
 「善いことをする」ことがそのまま「幸せになる」場合です。「善いことをする」ことが原因となって「幸せになる」という結果が生じる場合は、その二つの間に時間の経過がありますが、「善いことをする」ことがそのまま「幸せになる」ことである場合というのは二つが同時のときです。
 そうしようと思って善いことをするというよりも、気がついたらしてしまっていたという感じのとき。あるいは、自分の意思でというより、後から誰かに背中を押されたという感じで人に親切をするような場合。そんなとき、親切をすること自体が幸せになります。思いがけず嬉しさが込み上げてきて幸せを感じるのです。
 こんなときの善いことが、純粋な善いことではないでしょうか。それに対して、善いことをするのが原因となって幸せになる場合、逆に言えば、幸せになるために善いことをする場合は、計算づくの善いことです。
 さて「念仏すれば往生できる」はどうか。

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