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はじめての『教行信証』(その63) ブログトップ

2013年9月29日(日) [はじめての『教行信証』(その63)]

(2)他力とは
 他力といふは、如来の本願力なり。
 他力という最も重要な語についてここではじめて話題にされるのですが、親鸞のことばとしてはこの一文だけで、後は曇鸞の『論註』からの引用です。その引用で印象的なのは次の箇所です。
 「他利と利他と談ずるに左右あり。もしをのづから仏をしていはば、よろしく利他といふべし。をのづから衆生をしていはば、よろしく他利といふべし。いままさに仏力を談ぜんとす。このゆへに利他をもてこれをいふ」。
 訳しますと、「よく似たことばとして他利と利他がありますが、おのずから意味が異なります。仏の側から言いますと、他である衆生を利するのですから利他と言うべきです。しかし衆生の側から言いますと、他である仏がわれらを利してくださるのですから他利と言うべきです。いまは仏の力について言うのですから、利他と言うのです」となります。われらにも利他心があるように見えるが、それは実は仏の利他心の現われにすぎず、真の利他は仏にのみあるのだ、と言っているのです。
 ここから、他力とは、ただ「他の力」ということではなく、「仏の利他の力」を指していることが分かります。だからこそ、親鸞は「他力といふは、如来の本願力なり」と言っているのです。他力とは「仏の廻向」に他なりません。教巻の冒頭に「往相の廻向について、真実の教行信証あり」とありましたが、浄土往生の教も行も信も証も、すべて如来の廻向であり、他力であるということです。
 ここで少し立ち止まりましょう。

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