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はじめての『教行信証』(その68) ブログトップ

2013年10月4日(金) [はじめての『教行信証』(その68)]

 この頃、安倍首相はよく「世界で一番」「世界トップ」ということばをつかいます。「ナンバーワンにならなくていい、もともと世界にひとつだけのオンリーワン」という歌(「世界にひとつだけの花」)が一世を風靡したのはついこの間だと思うのですが、また時代は「ナンバーワンでなければ意味がない」という色に染まってきたようです。
 ナンバーワンになれたらさぞかし気分いいでしょうが、ナンバーワンを維持していくのは並みや大抵ではありません。一瞬の気の緩みも許されない。そんなしんどい思いをするよりも「そこそこ」のところにいる方がよほどいいのではないでしょうか。
 他力を認めると「わたし」が否定されるように感じるというとき、「わたし」は一番でなければならないという思いがあるに違いありません。すべてを成り立たせている根源、あらゆるものを支えている基盤を求めてどんどん掘り下げていったとき、いちばん最後にたどりつくのが「わたし」だということ。
 ユークリッド幾何学の公理にあたるものです。デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったのは、そういうことです。あらゆることを疑い尽くして、最後の最後に残ったのが「わたし」だということ、ここに近代の原点があります。
 他力を認めると「わたし」が一番でなくなり、それは「わたし」が「わたし」でなくなることだという感覚。しかし、再度問います、「わたし」は一番でなければならない理由があるのでしょうか。

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