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2013年10月6日(日) [はじめての『教行信証』(その70)]

(3)一乗海
 他力は「わたし」を否定するどころか、他力があってはじめて「わたし」は安心して「生きんかな」とすることができることをみてきました。
 さて、他力のあと、親鸞は「一乗海」ということばを取り上げ、こう述べます。
 「一乗海といいますのは、一乗は大乗のことです。(中略)次に海といいますのは、久遠の昔から、凡夫であれ聖者であれ自力で修めてきた諸善の川の水を転じ、あるいは、五逆(父母殺しのような重罪)・謗法(ほうぼう 仏法を誹謗すること)・闡提(せんだい 仏法に無縁のもの)などの限りない無明煩悩の濁水を転じて、本願によって成就された慈悲や智慧の功徳に満ちた宝の海水にならせることを言っています。これを海のようだとたとえているのです。経に『煩悩の氷がとけて功徳の水となる』と説かれている通りです。」
 「一乗は大乗なり」ということばで言われているのは、念仏の教えこそ仏教だということ、それ以外に仏教はないということです。一乗とは一つの乗り物ということで、この生死の海を渡してくれる船に様々なものがあるのではなく、ただ一つ、念仏の船しかないということです。大乗とは、自分しか乗れない小さな船ではなく、一切の衆生を分け隔てなく乗せてくれる大きな船ということですが、それは念仏の船に他ならないと言っているのです。
 法然までは、いろいろな行の中に「念仏もある」という考え方でしたが、法然は「念仏しかない」と宣言したのです。それが『選択本願念仏集』で、親鸞はこの「仏教は念仏であり、念仏が仏教である」という革命的な宣言を受け継いでいるのです。それが一乗という意味です。

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