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2013年10月25日(金) [はじめての『教行信証』(その89)]

(2)横超ということ
 三心一心問答の後、菩提心(仏になろうとする心)について次のことばがきます。
 「ところで菩提心にも二種類あります。一つは竪(たてさま)の菩提心で、二つは横(よこさま)の菩提心です。竪の菩提心にまた二種類あり、一つは竪超の菩提心で、二つは竪出の菩提心です。竪超と竪出の菩提心は、…自力の金剛心で、菩薩のもつべき大いなる心です。次に横の菩提心にも二種類あり、一つは横超の菩提心、二つは横出の菩提心です。横出といいますのは、…他力の中の自力の菩提心です。横超こそは、如来の本願力廻向の信心で、これが願作仏心すなわち仏になろうとする心です。この願作仏心がよこさまの大菩提心で、これを横超の金剛心というのです。」
 至心・信楽・欲生の三心は如来廻向の信楽におさまるという話の後、突然菩提心の話題が出てくることに戸惑いますが、如来廻向の信楽が横超の菩提心なのだというようにつながっているのでしょう。
 菩提心ということばで頭に浮かぶのは明恵の『摧邪輪』です。これは法然の『選択集』に対する論難の書として著されたもので、明恵が一番問題としたのは法然が菩提心を否定しているかに見えるという点でした。仏教にとって菩提心こそ肝心要であって、それを否定するのはもはや仏教ではないという論難です。
 親鸞がそのことを意識していたのは間違いないでしょう。明恵の論難に対して、法然は決して菩提心そのものを否定したのではなく、たてさまの菩提心、自力で仏になろうとする心を否定したのだと答えているのです。たてさまの菩提心の他に、よこさまの菩提心があり、これこそ真実の菩提心なのだと。

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