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はじめての『教行信証』(その101) ブログトップ

2013年11月6日(水) [はじめての『教行信証』(その101)]

(2)宿業ということ
 さてこの悲嘆のことばのあと、『涅槃経』からの引用が驚くほど長く続きます。文庫本の192ページからはじまり、230ページまで延々と続くのです。父王を殺害した阿闍世(あじゃせ)の救済の物語です。
 その事件については2「序」のところでお話しました。『観無量寿経』では阿闍世の母、韋提希(いだいけ)がこんなわが子を持った悲運を嘆き、釈迦に救いを請うという筋立てでしたが、『涅槃経』は同じ事件を扱いながら、阿闍世自身が釈迦の説法を受け、救われるという構成になっています。
 どうしてこんなにも長く引用する必要があったのかを考えながら、この『涅槃経』の所説を見ていきますと、先ほどの「かなしきかな愚禿鸞」に対応するかのように、阿闍世王の悲嘆から始まります。
 「われいま身心あにいたまざることをえんや。わが父つみなきに、よこさまに逆害を加す。われ智者にしたがひてかつてこの義をきゝき、世に五人あり、地獄をまぬかれずと。いはく五逆罪(父殺し、母殺しなどの五つの重罪)なり。われいますでに無量無辺阿僧祇(あそうぎ、無数の意味)のつみあり。いかんぞ身心をしていたまざることをえん。また良医のわが身心を治せんものなけん。」
 「地獄は一定すみかぞかし」という深い罪の自覚です。

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