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はじめての『教行信証』(その102) ブログトップ

2013年11月7日(木) [はじめての『教行信証』(その102)]

 身も世もなく嘆き悲しむ王をみて六人の大臣が次々と慰めのことばをかけ、当時の代表的な思想家たち(いわゆる六師外道)に会うよう勧めるのですが、最後に名医にして大臣でもある耆婆(ぎば)が阿闍世王にこんなふうに言います。
 「よきかなよきかな、王つみをなすといへども、心に重悔を生じてしかも慙愧(ざんぎ)をいだけり。大王、諸仏世尊、つねにこの言をときたまはく。ふたつの白法あり、よく衆生をたすく。一には慙、二には愧なり。…慙は人にはづ、愧は天にはづ。これを慙愧となづく。無慙無愧はなづけて人とせず、なづけて畜生とす」。
 罪を罪として恥じる気持ちがあれば救われると言うのです。そして是非とも釈迦に会いなさいと勧めます、あなたを救えるのは釈迦しかいないと。
 釈迦はこんな自分に会ってくださるだろうかと心配する王に耆婆はこう答えます、「たとえば一人にしかも七子あらん。この七子のなかにやまひにあへば、父母の心平等ならざるにあらざれども、しかも病子において心すなはちひとへにおもきがごとし。大王、如来もまたしかなり。もろもろの衆生において平等ならざるにあらざれども、しかも罪者において心すなはちひとへにおもし」と。
 こうして阿闍世王はついに釈迦に会い、その説法を受けることになりますが、釈迦は思いもかけないことを言います、「もし汝父を殺してまさにつみあるべくば、われら諸仏またつみましますべし。もし諸仏世尊つみをえたまふことなくば、汝ひとりいかんぞしかも罪をえんや」と。あなたに罪があるなら、わたしも同罪だと言うのです。

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