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はじめての『教行信証』(その107) ブログトップ

2013年11月12日(火) [はじめての『教行信証』(その107)]

 親鸞は曇鸞と善導を引用するだけで何も言っていないのですが、基本的に善導の考えを受け継いでいることは、『尊号真像銘文』という著作の中で、第十八願を注釈して次のように言っていることから分かります。
 「『唯除五逆誹謗正法』といふは、『唯除』といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり」。
 第十八願は、五逆と謗法ほど重い罪はありませんよと言いますが、それを犯すと往生できませんと言っているのではないということです。それを犯した人を含めて一切の衆生が往生できると言っているのだと。
どんな例外もないということ、ここに眼目があります。
しかし「例外のない例外はない」と言います。どんなことにも例外はつきものだということです。「人間とは何か?」という問いに、「人間とはかくかくしかじかである」と答えるとき、どんな答え方をしても例外が出てきます。「人間とは言葉を操る動物である」と答えますと、じゃあ言葉を操れない赤ちゃんは人間ではないのかという疑問が生じ、いや、赤ちゃんは例外ですということになります。
 何かを定義するということは、他のものとの境界線を定めるということですが、すっきり線を引くことができないのです。

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