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2013年11月26日(火) [はじめての『教行信証』(その121)]

(3)還相廻向(げんそうえこう)とは
 教にはじまり、行、信、証と往相回向については説き終わったわけですが、残るは還相回向です。
 教巻の冒頭に「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一には往相、二には還相なり」とありながら、これまで還相回向については触れられていません。どうなっているのだろうと疑問に思いながらここまできたのですが、ようやく還相回向の登場です。
 「二つに還相回向ですが、これは人々を教え救うという働きのことです。これは必至補處の願、すなわち第二十二願より出ています。この願をまた一生補處の願と名づけ、また還相回向の願と名づけます。」
 さてさて難関にさしかかりました。伝統的な解釈に従って、往相とは今生において浄土へ往く相(われらが救われる姿)で、還相は来生において浄土から再び娑婆に戻り衆生を利他する相(われらが衆生を救う姿)であるとして済ましていられれば、それで何の問題もないのですが、これまで親鸞独自の浄土思想を追ってきたわれらとしましては、この枠組みでは到底納得できません。
 この図式から抜け出さなくてはなりません。しかしどのようにして?
 まず来生は問題にならないということ、来生のことを言われても何とも答えようがないということです。吉本隆明が言うように、いわゆる「宗教」に不審の眼を向けたくなるのは、ぼくらはあくまで相対的な世界に生きているのに、眼をつぶったまま突如絶対の世界へ飛び越えることに欺瞞を感じるからです。ぼくが親鸞という人を信頼するのは、彼もまた釈迦と同じように死後の世界については語ろうとしないことからです。分からないことは分からないと言う、だから信用できるのです。

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