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はじめての『教行信証』(その127) ブログトップ

2013年12月2日(月) [はじめての『教行信証』(その127)]

             第10回.真仏土巻
(1)なぜ真仏土巻を?
 真仏土巻は次のことばではじまります。
 「謹んで真実の仏とその浄土を考えてみますと、仏とは推し量ることのできない光明の如来で、浄土とは限りない光明の国土です。これらは大悲の誓願にもとづき、それが成就したものです。だから真実の報仏、報土と言います。その誓願と言いますのは、光明無量の願(第十二願)と寿命無量の願(第十三願)です。」
 ここから分かりますように、真仏土とは、真実の仏と真実の仏土ということです。つまり真仏土巻は阿弥陀仏とその浄土についてということ。
 これまで真実の「教」・「行」・「信」・「証」と説かれてきましたが、この書物の名称は『顕浄土真実教行証文類』ですから、ここまでですべて終わったとしてもよさそうですが、その後にこの「真仏土」の巻と、さらにその後に「化身土」の巻が置かれます。そこにはどんな事情があるのでしょう。
 仏教の伝統的な立場では、教え(教)とその教えにもとづく修行(行)があって悟り(証)が得られるわけです。だから教と行と証で済むのですが、親鸞の立場では、教・行(そして信)の結果としての証は正定聚でした。仏ではなく、必ず仏となれる位である正定聚まででしかありません。仏は未来に先送りされるのです。
 としますと、仏について、そしてそこへ往生できるとされる浄土について、あらためて説く必要があります。未来になれるとされる仏、未来に往くとされる浄土とは何かについて触れておかねばなりません。

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