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2013年12月5日(木) [はじめての『教行信証』(その130)]

(2)過去・現在・未来
 「いま」と「これから」。この議論を正定聚と仏との関係に置き換えて考えることができます。「いま」(今生で)は正定聚で、「これから」(来生で)仏になる。しかし正定聚と仏を現在と未来に振り分けてよしとしてしまいますと、仏や浄土を実体化するという落とし穴にはまることになります。そこで、少し煩わしい議論になるかもしれませんが、過去・現在・未来という時間のあり方を考えてみたいと思います。
 話を具体化するために、「きのう」、「きょう」、「あした」で考えましょう。ぼくらには時間というものを直線でイメージする癖がついています。「きのう」という日が直線の左側に、「きょう」という日がそれに続いて真中に、さらに「あした」という日がその右側につながっているというイメージ。こんなふうに三つの日が横に並びます。そして「きのう」という日が終って「きょう」という日になり、それが終わると今度は「あした」という日がくると考えます。
 「きのう」という日が終って「きょう」という日になっても、「きのう」という日がなくなるわけではありません。ちゃんと直線上の左側にあると思います。でも、ちょっと待ってください。「きのう」という日はもう終っているのですから、「きょう」という日があるのと同じようにあるわけではありません。確かに「きのう」という日がなくなるわけではありませんが、「きょう」という日のありようとは全く別のありようをしていると言わなければなりません。
 それはどんなありようか。言うまでもないでしょう、「記憶される(想起される)」というありようです。「きのう」は記憶(想起)の中にあるのです。

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