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2013年12月19日(木) [はじめての『教行信証』(その144)]

(4)願うということ
 「信じる」ということについて考えてきました、「たとえだまされてもいいから信じる」という途方もないことについてです。
 「願う」ということについても同じようなことが言えないでしょうか、「たとえかなわなくもいいから願う」ということです。これまた途方もないことで、ぼくらが何かを願うのは、その可能性があると思うからでしょう。たとえ可能性がなくてもいいから願うなどというのは狂気の沙汰と言わなければなりません。
 善導はこの問題についても一つの問いを提起します。ある人がやってきて「罪深いお前たちが一生の間念仏したとしても浄土に往生できるわけがない、悪道(地獄・餓鬼・畜生のことです)に落ちるに決まっている」と難癖をつけてきたとき、どう答えるかというのです。答えはただ一つ、「たとえそうであるとしても往生を願いつづける」というものですが、しかしなぜそんなことができるのか。
 ぼくらが普通に何かを「願う」ことからスタートしましょう。
 ぼくらはいろいろな願いをもっています。自分のこと、家族のこと、地域のこと、もっと広く社会のこと。正月ともなりますと、神社仏閣は善男善女の願いごとであふれかえります。神さま仏さまにただ願うだけでは身勝手すぎますから、願うにふさわしい人間にならなければと「善い人間になるようがんばりますので、どうか幸せになれますように」などと手をあわせることでしょう。

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