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はじめての『教行信証』(その145) ブログトップ

2013年12月20日(金) [はじめての『教行信証』(その145)]

 さてしかし、どれほど真剣に、そして元旦の朝のような澄みきったこころで願ったとしても、それで願いがかなうとは誰も思っていないでしょう。かなってほしいが、かなわないこともあるだろうと思います。これが普通の願いです。
 しかし問題はもうひとつ別の願いです。こちらはそんじょそこらの願いとはわけが違う。
 ぼくらが願うことには二種類あるようです。一つはぼくらが普通に願うことで、それらをひっくるめて幸せと呼んでいいでしょう。初詣でにいき「今年も幸せでありますように」と手を合わせるとき、あらゆる願いをこの幸せという一語に籠めています。
 この普通の願いとは別のもうひとつの願いは何を願うのか。往生あるいは菩提(悟り)と言うべきでしょうが、平たく言えば安心(仏教では「あんじん」と読みます)です。安心とは個々の幸せが幸せであるための条件と言えばいいでしょうか。
 お金に困らないこと、そして健康であること、これが幸せの代表格でしょうが、さてしかしこれらさえあったら無条件に幸せというわけにはいきません。その土台に安心があってはじめて幸せをもたらしてくれます。どれほどお金と健康に恵まれていても、安心がなかったらとても幸せということはできません。
 いや、それは逆じゃないか、お金や健康などがあってはじめて安心が生まれてくるのだ、という声がでてきそうです。
 なるほど老後に備えてある程度のお金を蓄え、そして日頃から身体には気をつけることで安心して日々を送れるというものです。安心とはお金や健康とは別にあるものではなく、それらによってもたらされると見るのが常識にあっているように思えます。

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