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はじめての『教行信証』(その149) ブログトップ

2013年12月24日(火) [はじめての『教行信証』(その149)]

 「あんしん」を願う場合も、誰かに願ってもらっているのを感じることがあります。「大病になりませんように」と願うとき、家族もそれを願ってくれている。自分が願うだけではなくて、周りの誰かからも願われていると思えるのは何とも有り難いことです。でもやはり自分が願うのが基本であって、周りから願われているから自分も願うというのではないでしょう。
 ところが『あんじん』の場合は様子が異なるのです。自分が願うより先に誰かから願われていると感じる。
 「このまま生きていていいのか」という不安のなかに沈むとき、自分から何かを願うという状況ではありません。ひたすら不安に沈潜するだけ。自分から願うのは「いまはこんなふうだけど、これからこうあってほしい」ということで、あくまで「これから」のことです。「もうすでに」のことについては願いようがありません。でもそのとき誰かから願われているのを感じるのです、「そのまま生きていていいよ」と。
 そうしてはじめて「このまま生きていていいのだ、生きていこう」という願いが湧き上がる。
 「これから」のことを願うときも、誰かから願われているのを感じることがあると言いました。そのとき誰から願われているかは、はっきり特定できます。親であってり、妻であったり、子どもであったりします。だからこそその人たちに対してこころの中で感謝するのです。
 ところが「もうすでに」のことを願われていると感じるときは、それが誰であるかを特定できないのではないでしょうか。

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