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2013年12月29日(日) [はじめての『教行信証』(その154)]

 この独特の難しさを見越して、方便としてさまざまな功徳を積むことによって往生するという道を用意してくださったのが第十九願であるというのですが(第二十願については後で取り上げられます)、これはしかし驚くべき発想で、親鸞以前にこんな考え方をした人はいないのではないでしょうか。
 本願の中に真実の願と方便の願があり、その結果として、仏にも真実の仏と方便の仏がある。そして浄土にも真実の浄土と方便の浄土があるというのですから、びっくりするではありませんか。
 ともあれ方便の願とされる第十九願を読んでみましょう。
 「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功徳を修し、心をいたし発願してわがくにに生ぜんとおもはん。寿終(じゅじゅ)のときにのぞんで、たとひ大衆(だいしゅ)と囲繞(いにょう)して、そのひとのまへに現ぜずといはば正覚をとらじ」。
 (すべての人々が、救われたいと思い、さまざまな善を積んで、心からわたしの国に生まれたいと願うなら、いのち終えようとするとき、多くの聖者とともにその人の前に姿をあらわそう。もしそうでなければわたしは仏となるまい)。
 比較のために真実の願である第十八願を上げておきます。
 「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、心をいたし信楽してわがくににむまれんとおもふて、乃至十念せん。もしむまれずば正覚をとらじ」。
 (すべての人々が、心から信じ喜び、わたしの国に生まれたいと思って、十回でも名号を称えれば、必ずわが浄土へ生まれさせよう。もしそうでなければわたしは仏となるまい)。

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