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はじめての『教行信証』(その160) ブログトップ

2014年1月4日(土) [はじめての『教行信証』(その160)]

 さて、「ほんもの」の他力と「まがいもの」の他力を対比し、前者を取り、後者を捨てるということです。
 生きるということは、これを取り、あれを捨てることですから、優劣をつけるのはどんなときも避けられないとも言えますが、こと救いに関してはどうでしょう。これを取り、あれを捨てるということは、これなら救われるが、あれでは救われないということになります。
 しかし、一体どんな資格で「あれでは救われない」などと言えるでしょう。ぼくらが救いを与えるなら、さまざまな条件をつけることになるでしょうが、仏の救いは平等のはずです。だれが救われ、だれが救われないなどということはありません。ぼくらは「あれかこれか」ですが、仏は「あれもこれも」です。
 仏の世界はしばしば海に譬えられます。海はどんな河の水も包摂し、それぞれの河の水の味がどんなに違っていようと、海に流れ込んでしまえばみな同じ塩味になります。河によっては、ものすごい毒を含んだ水が流れているかもしれません。でも海はどんな毒も受け入れ、浄化してくれます。これが仏の世界です。
 大学入試で合格最低点以上取れなければ、どれほど入りたいと思っても入れてもらえないのと同じように、浄土へ往くにも条件があると考えてしまうのがわれらです。しかし仏はそうではありません。仏は往生にどんな条件もつけずに、誰でも受け入れてくれます。たとえ試験が0点でも、みんな受け入れようというようなものです。
 ぼくらは条件の厳しい大学ほどいい大学で、誰でも入れるような大学はダメな大学と思いますが、仏は違うのです。誰でも往けるところが浄土であって、条件のあるようなものは浄土とは言えないのです。

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