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はじめての『教行信証』(その162) ブログトップ

2014年1月6日(月) [はじめての『教行信証』(その162)]

 散歩の途中、見知らぬ人にかけてもらった「こんにちは」の声がどういうわけか胸に沁み、「そのまま生きていていいよ」と聞こえるのが他力ということでした。でも、ただの「こんにちは」としか聞こえない人にとっては、それが他力だと言われても何のことかさっぱりでしょう。としますと、こちらに自力、あちらに他力と同一平面上に並べることはできません。これは普通の対概念ではないのです。
 自力と他力を難行と易行に置き換えることがあります。龍樹が、陸路を一歩一歩進むのと、水路を船で渡るのを比較して説いたことからよく使われる対比です。しかし、よくよく考えますと、これはほんとうの対比にはなっていません。確かに陸路で行くのは困難で、水路で行くのは容易ですが、これはどちらも自力です。つまり難行だ易行だと言えるのは自力についてで、他力にはそのようなものさしは当てはまらないのです。
 このことも自力と他力は普通の対概念ではないことを示しているでしょう。有限と無限が位相を異にするように、自力と他力も次元が異なるのです。
 自力と他力が対になっているのでしたら、一方が真なら他方は偽ということになるでしょう、一方が難行なら他方が易行だというように。でも、難行も易行も自力についてしか言えないように、真も偽も自力についてしか当てはまらないのではないでしょうか。自力で掴み取ったものが事実と合致していれば真ですし、合致していなければ偽です。でも他力については、向こうから賜ったことに「気づく」かどうかですから、真偽のものさしは当てはまりません。

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