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2014年1月7日(火) [はじめての『教行信証』(その163)]

 「真か偽か」はある認識の内容に関わり、あることの気づきそのものには当てはまりません。
 「これはAである」が真だとしますと、「これはBである」は偽です。でも、あることに気づくことが真だとしても、気づかないのを偽とは言えません。それはただ気づかないだけのことです。周りの人が「ぼくは気づかないのに、きみが気づくのはおかしい」と言おうが、ぼくがあることに気づいたことは梃子でも動きません。その意味で気づきは絶対的ですが、だからと言って他の人が気づかないのはまた如何ともしがたい。「ぼくが気づいたのに、きみが気づかないのはおかしい」と言うこともできないのです。
 あることに気づいたのちに、気づいていなかったそれまでをふり返ってみましょう、どんなふうに見えるか。
 ぼくがよく持ち出すのは、百人一首のあの歌です。「あひみてののちのこころにくらぶれば、昔はものをおもはざりけり」。「あひみる」とは男女が契りを結ぶということでしょう。ですから「あひみてののちのこころ」とは恋の切なさに気づいたいまということ。その「いま」から、まだ気づいていなかった昔をおもいやると、ものを思うこともなくのほほんと生きていたことだなあ、と述懐しているのです。このこころの動きを見て、まず思いますのは「驚き」の大きさです。
 これまでの自分といまの自分ではこんなにも違うという驚き。これまでの自分はいったい何をしていたのだろうと愕然とします。

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