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はじめての『教行信証』(その165) ブログトップ

2014年1月9日(木) [はじめての『教行信証』(その165)]

 ただ、気づきに至った人がまだ気づいていない人を見ますと、そのこころの動きが本人よりもよく見えるということはあります、「ああ、この人は以前の自分と同じように、こんなふうに思っているのだろうな」と。
 たとえば、誰かに向かって「こういうヤツは絶対に許せない」と怒りの発作に襲われている人がいます。発作の中にいる本人としては、怒りを覚えるのが当然であって、ここで怒らない方がおかしいと思っているでしょう。でも、発作的な怒りを引き起こす元を見ますと、そこには煩悩の虫が隠れているのではないでしょうか。
 これまたぼくがよく持ち出す例ですが、何かを待って列を作っているとき、横から割り込む人がいますと、無性に腹が立ちます。「こういうヤツは絶対に許せない」と思う。そして腹を立てるのが当然で、腹を立てないのはどうかしていると思います。
 しかしどうしてこうも腹が立つのかと考えてみますと、はっと思うことがあります。自分の中にも「割り込んででも他人より先に行きたい」という欲望があることに気づくのです。もしそういう欲望がなければ、こんなに腹が立たないだろうと思えるのです。
 何とかして他人より先に行きたいと思っていることでは、割り込む人も自分も同じではないか。彼はその思いをそのまま外に出し、自分は辛抱して抑えこんでいるという違いはあるが(そしてその違いは大事だと思うが)、少しでも他人より先んじたいという欲望があることでは何も違わない。これが煩悩の気づきです。

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