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2014年1月12日(日) [はじめての『教行信証』(その168)]

             12.化身土巻(その2)
(1)三願転入
 いよいよ最終回となりました。先回は化身土巻の前半で、「仮の願」、「仮の仏」、「仮の浄土」とは一体何かということを考えました。普通は「真に対して偽」となりますが、「真に対して仮」ということもあるということでした。
 真か偽かということは、こちらから何かを掴み取ろうとするときに(つまり自力の世界で)問題となるのであって、向こうから本願が聞こえてくるところでは(つまり他力の世界では)、それに気づくのが真であるのに対して、気づかないのは偽ではなく、仮と言わなければなりません。いずれ気づくに違いないのだけれども、いまのところまだ気づいていないにすぎない、ということで仮なのです。
 一般に仏教では虚偽とは言わず虚仮と言います。聖徳太子のことばとされる「世間虚仮 唯仏是真」が有名ですが、真である仏に対して、世間は偽ではなく仮なのです。
 「真か偽か」の世界では、偽はすみやかに排除されなければなりません。少しでも偽の要素が残っていれば、それを取り除き、できるだけ純粋な真を求めなければなりません。でも、「真と仮」の世界では、仮を否定し排除することはありません。それは真への途上にあるのですから、そっと見守り、気づくのを辛抱強く待つ必要があります。偽は排除されても、仮は包摂されるのです。それを見誤りますと「三願転入」を間違って解釈してしまいます。
 三願転入と言いますのは、本願・名号への信が次第に深まっていくということで、第十九願の諸行往生から第二十願の自力念仏へ、そして第十八願の本願他力へと三つの段階を経ていくというのです。

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