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2014年1月22日(水) [はじめての『教行信証』(その178)]

 一方では「天を拝することをえざれ。鬼神をまつることをえざれ」と言いながら、他方では「天地のかみをすてまふさんとおもふこと、ゆめゆめなきことなり」と言います。
 これをどう理解すればいいか。思い出すのは法然です。彼はこう言います、「独身僧として念仏できなければ、妻帯して念仏しなさい。妻帯して念仏できなければ、独身僧として念仏しなさい。家で念仏できなければ、旅の中で念仏しなさい。旅の中で念仏できなければ、家で念仏しなさい。自分で稼ぎながら念仏できなければ、他人の布施で念仏しなさい。他人の布施で念仏できなければ、自分で稼ぎながら念仏しなさい」と。
 念仏できることが肝心だから、念仏しやすいように生活すればいいと大らかです。親鸞もおそらくこう言うのではないでしょうか、弥陀の本願がこころにありさえあれば、天神地祇を祈ろうが、吉良日を選ぼうがかまわないと。
 一見とてもいいかげんに思えます。そんなふうに言うなら、何だって許されるじゃないかと。
 ぼくの頭に浮かぶのは「戦争協力」の問題です。浄土真宗が近代日本の戦争政策に協力してきたということが教団内部から批判されるようになりました。そのことは浄土真宗の優位性を示しているとぼくは思います。他の宗派も似たり寄ったりだったと思うのですが、内部からその問題を抉り出そうとしているようには見えないところで、真宗があえてそれに手をつけたことにこころから敬意を表したいと思います。
 さて、真宗教団が戦争政策に協力する際に、その根拠として持ち出したのが「真俗二諦」の考え方です。宗教の真理(真諦)とは別に政治の真理(俗諦)があるというのです。

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