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2014年1月24日(金) [はじめての『教行信証』(その180)]

(4)非僧非俗
 さて最後の最後、「後序」の部分ですが、突然、承元の法難についての述懐が始まります。ここは原文を上げましょう。
 主上臣下、法にそむき義に違し、いかりをなしうらむをむすぶ。これによりて真宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科をかんがへず、みだりがはしく死罪につみす。あるひは僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に処す。予はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす。
 「天皇も臣下も、法に背き正義に反し、怒りと恨みの虜となりました。それにより、浄土の真宗を興された源空上人をはじめ、その門弟たちに、罪の軽重を考えることもなく、乱暴にも死罪としたり、あるいは僧籍を奪い俗名を与えて遠流に処しました。私もその一人です。ですから、もうすでに僧ではありません、俗でもありません。こういうわけで禿の字をもって私の姓といたしました。」
 「主上臣下、法にそむき義に違し」などという天皇をはじめとする時の権力者に対する激しい弾劾のことば(戦前はこの部分を読むのを遠慮したそうです)を見ますと、さぞかし親鸞は当時(承元元年、1207年、親鸞35歳)のことを思い出して怒りを新たにしているのだろうと感じます。
 でも、何度もこの部分を読む中で、少し違う印象が生まれてきました。もちろんこの出来事が「法にそむき義に違し」た法難であると怒りを感じているでしょうが、同時にこれまでを振り返って「ああ、あれが自分にとってのほんとうのスタートだったのだ」と思い返しているように感じるのです。

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