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はじめての『教行信証』(その181) ブログトップ

2014年1月25日(土) [はじめての『教行信証』(その181)]

 この事件までは、法然の専修念仏門に入ったと言っても、これまで同様、僧としての生活をしていたはずです(僧は一種の国家公務員ですから身分も生活も保障されていました)。しかし、このとき僧籍を奪われ、俗名を与えられたのですから、それは親鸞(当時は善信)にとって驚天動地の出来事だったに違いありません。
 すでに恵信と結婚していたとしますと、公然と妻帯することもまた彼にとって重大な「生き方」の選択だったでしょうが、今度は、もはや僧ではない生き方を否応なく選ばされ、しかも未知の土地、越後で流罪の生活をしなければならない。これは「生き方」をまるごと問われる出来事であったことでしょう。
 そこで彼は「僧にあらず、俗にあらず」の生き方を選んだ。非僧非俗とは客観的な事実を言っているのではありません、彼自身のひとつの覚悟です。
 「僧にあらず」となりますと、普通は「俗になる」わけですが、同時に「俗にあらず」です。これは僧と俗の関係そのものを否定していると言わなければなりません。僧と俗の関係とは「救いを与える者―救いを与えられる者」の関係ですが、それを否定したということです。
 考えてみますと、そもそも大乗仏教というものが出家と在家の関係を見直す運動だったはずですが、一方に出家がいて他方に在家がいるという構造そのものはそのままでした。それを親鸞が打ち破ろうとしたとも言えるのです。
 「ともに救われる」同朋同行の関係を目指したということ。

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