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「する」と「いる」 [生きる意味(その7)]

(4)「する」と「いる」
 「何だよ、“する”とか“いる”とか、ややこしくしょうがないよ。何かをするためには、この世にいなければならないのだし、この世にいるということは何かをしているんだから、それを分けてどうするのだよ?」
 「ごめん、ごめん。いじめを例にとってみるよ。たとえば数人の生徒が廊下でくんずほつれつ縺れ合っていたとしよう。そんな時、“これはいじめじゃないか”って疑うよね。でも、本当に“いじめ”かどうかは見極めが難しい。」
 「ふむ。友達同士がじゃれあっているだけかもしれないからね。ぼくだったら、近くにいる信頼できる生徒に聞いてみるよ、“あれはおふざけかね”って。」
 「そうだね。とんでもなくヒドイことばのやり取りも、何でも許せる親友同士の会話かもしれないからね。“いじめ”かどうかは、“する”ことを見つめても分からない。生徒同士がどんなことを“する”かではなくて、“いる”ことが認められているかどうかが決め手になるんじゃないかな。」
 「ふーむ。“いる”ことが認められるというのは、そこに居場所があるということだね。“いる”ことが認められていれば、どんなにひどいことばをぶつけられようが、プロレスの絞め技で攻撃されていようが、それは“いじめ”じゃなくて“おふざけ”ということか。」
 「そう。逆に、見た目には何もされていなくても、“いる”ことが認められていなければそれは深刻な“いじめ”だよ。」
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