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存在が透明になる不安 [生きる意味(その9)]

(6)存在が透明になる不安
 こんな場面を想像してみてください。あなたは教室の中にいます。ところが周りのみんなが、あたかもあなたなどいないかのように振舞う。あるいは、あなたをその辺にある机と同じようなモノとして扱う。いわゆる「シカト」です。こういう仕打ちをされた時、何か自分が透明になってしまったように感じるのではないでしょうか。
 はるか昔、テレビがようやく家庭に普及しだした頃のことですが、「透明人間」という、多分アメリカのものだろうと思いますが、とても印象に残るドラマがありました。全身を包帯でぐるぐる巻きにして、頭には帽子をかぶり、手袋をしていたように思います。手袋を取り、包帯を取っていくにしたがって体が透明になっていくのですが、その不気味さをいまだによく覚えています。
 「シカト」というのは、あの透明人間のように、自分は確かにここにいるのに、周りのみんなは、自分があたかもいないように振舞うことです。そう言えば、あの神戸の少年Aも犯行声明の中で「存在が透明になる」という言い回しをしていて、その表現の新鮮さに息を飲んだことを思い出します。彼も存在の透明感に悩まされていたのでしょうか。
 突然ですが、ここでちょっと幽霊のことを考えてみましょう。
  といっても、ぼくはまだ幽霊にお目にかかったことはありません。だいたい幽霊は見えないことになっています。周りに向かって「おーい、ぼくはここにいるぞ」といくらアピールしても、幽霊の姿は見えないのですから、いないのと変わりはありません。これは幽霊にとってかなり辛いことではないでしょうか。そのうち、ぼくがここにいることを認めてくれよ、と言いたくなるに違いありません。

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