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存在が透明になる不安(つづき) [生きる意味(その10)]

(7)存在が透明になる不安(つづき)
 存在が透明な幽霊さん、自分のことを認めてもらいたくて「うらめしやー」とか言いながら突然姿を現すと思うのです。そうすると人間たちは慌てふためいて「キャー、出たー」と騒ぐ。これで幽霊さん安心するのではないでしょうか、「ぼくは確かに存在しているぞ」と。
 デカルトは「われ思う、故にわれあり」と言いました。自分が「いる」ことほど確かなことはないということです。ここにコップがあることは疑わしい。夢の中でそう思っているだけで、実際にはないかも知れないからです。しかし、これは夢かもしれないと思っている自分が「いる」ことは絶対に確かだ、と。
 でも本当にそうか。
 「シカト」され続けた生徒は、自分の「いる」ことに不安を覚えないでしょうか。「おはよう」と声をかけているのに、誰も全く反応してくれないとすれば、本当にここに「いる」のか不安になるのではないか。誰にも見えない幽霊さんも、不安でたまらないのではないでしょうか。誰にも気づいてもらえなくて、本当に「いる」ことになるのだろうか、と。
 デカルトは自分が「いる」ことは絶対に確かだと言いましたが、絶対確かなのは「する」ことです。夢の中のことかも知れないと「疑う」ことは、誰が何と言っても確かです。天地がひっくり返っても確かなのは、疑うという「する」ことであって、「いる」ことではありません。
 「また“する”と“いる”かい?それを持ち出されると何だかよく分からなくて、頭がもやもやしちゃうんだけど。」

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