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「いる」ことは「する」ことの〈場〉 [生きる意味(その12)]

(9)「いる」ことは「する」ことの〈場〉
 「いる」ことは何かを「する」ことの前提条件であるということは、「いる」ことはすべての「する」ことがそこで可能となる<場>だということです。演劇に喩えますと、演じられているドラマが「する」ことで、その舞台が「いる」ことに当たります。舞台がなければ、どんなドラマも成り立ちようがありません。
 さて、「する」ことは意識されるのが普通です(無意識に何かをしてしまうこともありますが、そんな場合何かを「する」とは言いません)が、「いる」ことは直接それとして意識されることはありません。ぼくの意識は「する」ことに向いていて、直接「いる」ことには向かわないのです。
 「意識は常に何かについての意識である」という有名なことばがあります。「現象学」のキャッチコピーです。意識はただそれだけであるのではなく、常に何かに向かっているというのです。ぼくは今キーボードを叩くことを意識しています。ぼくの意識はキーボードを叩くことに向かっているのです。
 意識はもちろんそうしている自分にも向いています。ぼくは今キーボードを叩きながら、そうしている自分を意識しています。でもその自分というのは、キーボードを叩いている自分、つまり「する」自分です。キーボードを叩くことが可能となる<場>としての「いる」自分ではありません。
 「おいおい、“する”自分と“いる”自分って何だよ。自分が二人いるのかい?」
 「自分は一人しかいないさ。えーと、十円玉には表と裏があるだろ。それと同じで、表は“する”自分だけど、それをクルッとひっくり返せば“いる”自分。ただ、十円玉と違って、自分をひっくり返して見ることはできないけどね。」
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