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自己責任(つづき) [生きる意味(その18)]

(15)自己責任(つづき)
 ぼくならこんなふうに励ましたいと思います、「お前が勉強できないのは、お前がそれだけの努力をしないからだぞ。ぼくがついて見てあげるから一緒にやってみようじゃないか」と。それが教育というものではないでしょうか。
 個人の責任の大切さは言うまでもありません。それを「なあなあ」で済ませてきたことのツケがさまざまなところで噴き出しているのは間違いないでしょう。だからこそ自己責任が強調されるのです。でもそれが行き過ぎると血も涙もない社会になってしまうと言いたいのです。
 「お前が勉強できないのは誰の責任でもない、お前の責任だ。だからオレは知らん」と言って済ませられるなら教師も楽でしょう。しかしそれが教育でしょうか。
 勉強ができないという厳然たる事実があります。それを親のせいにしたり、先生が悪いからとか言うのは理屈が通りません。でも勉強ができないという事実がどこから生まれてきたかという点では情状酌量の余地があるのではないかと言いたいのです。その事実の出口については自己責任論が正しい。でもその入口については「お前が悪い」だけで済ますことはできないのではないでしょうか。
 学校では次のような会話が日々繰り返されています。
 「お前が勉強できないのは、勉強しようとしないからなんだよ。どうして勉強しようとしないんだ?」
 「だって分かんないもん。」
 「分からなければ聞けばいいじゃないか。」
 「誰に聞けばいいのさ。親は端から相手にしてくれないし、先生に聞こうとしても何だか邪険にされそうで近づきにくいし。」

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