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「傍に寄り添う」ということ [生きる意味(その21)]

(18)「傍に寄り添う」ということ
 「いる」ことに気を配っても、「する」ことの責任がいささかも軽減される訳ではありません。では、「いる」ことをわざわざ「する」ことから区別して、そこにも眼を注ぐことにどんな意味があるのでしょうか。
 先に、本人に向ける眼差しが変わるだけ、と言いました。ぼくらは無力です、これといって何もしてやれることはありません。でも、注ぐ眼差しが変わるだけで本人の気持ちは大きく変わるのではないでしょうか。
 ぼくは以前、問題行動を繰り返す生徒に手を焼いて、高校時代の恩師に「もう教師を辞めたくなりました」と相談を持ちかけたことがあるのですが、その時「きみはその生徒を更生させようとしているのではないか」と言われて、「あっ!」と思ったことを覚えています。
 この「あっ!」はかなり複雑です。まず、「図星だ」という思い。そしてその不遜を指摘されて「恥ずかしい」という思い。さらには、「じゃあ、どうすれば?」という思い。これらがごちゃ混ぜになった「あっ!」です。
 昔聞いた曲に「スタンド・バイ・ミー」というのがあったように思いますが、これかな、と思います。途中をすべてすっ飛ばして結論だけといった感じですが、“stand by”(「寄り添う」ということ)しかないんじゃないか。
 これまた突然思い出しましたが、ある同僚のことです。問題を起こしたひとりの生徒について相談を持ちかけた時、彼が言ったことばが心に残っています。「ぼくは何も指導できません、ただ傍にいるだけです」と言われたのです。この時もぼくは「はっ」としました。

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