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一人では生きられない [生きる意味(その29)]

(26)一人では生きられない
 このアンドロギュノスの話も、ぼくらには欠如があり、それを誰かに満たしてもらわないと完結しないことを示しています。これは男と女のことだけではなく、「いのち」というものすべてに当てはまるのではないでしょうか。
 「いや、そんなことはないよ」という反論があるかもしれません。「山奥にひっそりと咲く一輪の美しい花は、誰にも見てもらえないけど、自分だけで凛として咲き誇っているじゃないか」と。でも、よーく見てみると、その美しい花も蜜をいっぱいためて蜜蜂の来てくれるのをじっと待っているのではないでしょうか。
 「蜜蜂君たち、こっちへおいでよ、蜜がいっぱいあるよ」と一生懸命アピールしているに違いありません。もし蜜蜂君が一匹も飛んでこなかったら、お花さんガッカリして萎れてしまうことでしょう。やはり、いのちには欠如があり、それを誰かに満たしてもらわなければ完結しないようです。
 ぼくはぼくの欠如を誰かに満たしてもらい、その誰かはまた別の誰かに満たしてもらい、ということになりますと、巡りめぐってみんながひとつにつながりあっているということです。これが「一人では生きられない」ということです。
 親父から「お前は一人で大きくなったような顔をしているが、誰のおかげだと思っているんだ」などと説教された息子がそこに恩着せがましさを感じて「頼んだ訳じゃないよ」と憎まれ口をたたく。
 よくある光景です。でも、ここで「一人では生きられない」と言っているのは、もうひとつ深い意味です。「する」ことのレベルではなく、「いる」ことにおいて「一人では生きられない」のです。ここに「いる」ことを誰かに認めてもらわないと、ぼくらは生きていけないのです。(第1章 完)

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