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実存は本質に先立つ [生きる意味(その32)]

(3)実存は本質に先立つ
 サルトルは、その青年が己の人生を選ぶにあたって誰が助けることができるだろうか、と問います。
 キリスト教の教えに頼れるでしょうか、イエスはこう言います、「汝の隣人を愛せよ」と。しかし、自由フランス軍に入るのが「隣人を愛する」ことなのか、それとも母親のもとに留まるのが「隣人を愛する」ことなのか、この教えをどう解釈するかは結局その青年でしかありません。
 でも、青年は選択に迷ってサルトルを訪ねてきたではないか、と言われるかもしれません。ということは、答えがどこかにあるということではないのか、と。しかしサルトルはこう言うのです。青年は対独協力派の司祭ではなく、サルトルのもとを訪ねてきた。もし青年が対独協力派の司祭を訪ねたとすれば、彼はもう「母親のもとに留まる」ことを自ら選んでいるのだ、と。
 人は何のために生きるか、自由フランス軍のために生きるか、母親のために生きるかは、それぞれの人が自分で選択するしかないのだ、とサルトルは言うのです。答えは前もってどこにも与えられていない、自分で答えを作り出していくしかないのだと。
 自分で答えを見つけ出すのでもありません。見つけると言うと、すでにどこかにあるということになりますから。答えはどこにもありません、ですから新しく作り出すしかないのです。しかし、どうして答えがないのでしょう。
 そこでサルトルは言うのです、「実存は本質に先立つ」と。

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