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「生きる目的」は個別的 [生きる意味(その38)]

(9)「生きる目的」は個別的 
 本題に戻りますと、「何のために生きるか」という問いの答えはどこにもないから、自分で作り出すしかないということでした。
 そもそもどんな問いにも答えがあらかじめあった訳ではなく、そのつど作り出されてきたのですが、一旦作られた答えが長い間使い込まれ、もうこれしかないとその地位が確立した場合は、もとから答えがあったように思われてしまいます。そのような答えはみんながその権威を認めていますから、普遍妥当性があると言えます。
 前に取り上げた地動説もコペルニクス以来不動の地位を持つようになり、普遍妥当性が認められるようになりました。しかし、コペルニクスまでは天動説が不動の真理だったことを忘れてはいけません。みんな天動説という道具を使ってきたのです。ところがそこに地動説という全く新しい道具が登場してみんなびっくりした。
 しかし使ってみるとこちらの方が使い勝手がいいぞということになって、いつの間にか天動説という道具は見向きもされなくなったという訳です。こうなるとみんな薄情なもので、天動説が存在していたことを忘れてしまって、もうずっと昔から地動説しかなかったように思ってしまうのです。みんなに当てはまるというのはそういうことです。
 さて問題の「何のために生きるか」という問いは、それぞれの人がそれぞれの状況でぶつかるきわめて個別的な問いです。「自由フランス軍に身を投じるか、それとも母親のもとに留まるか」といった問いです。

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