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「これは俺のものだ」 [生きる意味(その54)]

(25)「これは俺のものだ」
 もともと心は誰のものでもなく、秘められている訳でもないのに、それが「ぼくの秘められた心」になるのは、もともと誰のものでもなかった土地が、いつの間にか隅々まで誰かの土地になってしまったのと似ています。
 よく知られていますように、ルソーというフランスの思想家は、もともと土地は誰のものでもなく、そこに自生している木の実は誰でも自由に採れたのに、その一角を柵で囲って「これは俺のものだ」と宣言する人間が出てきて、それから私的所有と不平等が生まれてきたと言っています。
 同じように、心は誰のものでもなく、そこに自生している悲しみは秘められている訳ではなかったのに、その一角を柵で囲って「これはぼくの心だ」と宣言する人間が出てきて、そこから「ぼくのプライベートな悲しみ」が生まれてきたと言えるのではないでしょうか。
 もともと「秘められた心」があるんじゃなくて、柵で囲うから「秘められた心」になり、もともと「プライベートな悲しみ」があるんじゃなくて、隠すから「プライベートな悲しみ」になる。
 そう言えば、『古事記』の「清き明きこころ」は、囲われていない筒抜けの心のことでした。その反対の「穢きこころ」は秘められた心。「あいつは腹黒いやつ」と言うのは、胸に一物を秘めていて、何を考えているか分からんという意味です。
 それにしてもどうして人は心を柵で囲おうとするのでしょう。

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