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「それを言っちゃあオシマイだよ」 [生きる意味(その71)]

(2)「それを言っちゃあオシマイだよ」
 更新が遅れました。
 ひょっとすると「生きる意味なんてどこにあるのさ?」も、聞いてはいけない問いかもしれません。『コーラン』に従うことがイスラム教徒であるための大前提であるように、「生きる意味がある」は、人として生きる上での大前提ではないのか?
 「はじめに」でこんなふうに言いました。「生きる意味」についての問いは気恥ずかしく、そしてどこかアブナイと。この問いは「そんなことを聞くなよ」と思わせるものがあります。そして「どうして人を殺してはいけないか?」も負けず劣らずアブナイ。「それを言っちゃあオシマイだよ」と思わせます。
 そう言えば、ぼくは教師時代に、「それを言っちゃあオシマイだよ」と言いたくなるような発言にしばしば出会いました。
 小学校の先生が「はい、教科書を開けなさい」と言って、生徒の中から「なんで?」という反応が返ってきた時、もう学級崩壊が起こっています。先生が「教科書を開けなさい」と言うのはあまりにも当たり前です。それに対して「なんで?」と言っちゃあいけません。それを言っちゃあオシマイです。それが不幸にも起こってしまうのが学級崩壊です。
 生徒は先生の指示に従うものだという大前提が時に崩れる。ぼく自身の辛い経験をひとつ紹介しますと、授業中にトランプ遊びをしている生徒(驚かれるかもしれませんが、そんな生徒が実際にいたのです)に「トランプをやめなさい」と言った時、「なんで?」と聞き返してくる。こうなるともうお手上げです。

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