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「生きる意味はあるか?」と問えない [生きる意味(その77)]

(8)「生きる意味はあるか?」と問えない
 「生き続けることに意味がある」は数学の公理のようなものではないでしょうか。そこからすべての定理が導かれてくるのですから、その公理を否定したら数学の体系自体が崩壊してしまいます。公理を否定する人には、その体系の内部では、もう言うべきことばがありません。
 こんな譬えはどうでしょう。子どもがいつも魚を捕まえるのに使っている「たも」をうっかり池に落としてしまいました。それを掬い取ろうにも、そのために必要な「たも」を失くしてしまったのです。「たも」に代わるものが何もないとしますと、もう何もできないということです。
 池に落としたものが他のものでしたら、「たも」で掬い取ればいいのですが、その「たも」そのものを失くしてしまったらもうお手上げです。「生きることには意味がある」はその「たも」のようなものではないでしょうか。それを池の中に落としてしまったら、もう何ともなりません。
 人が生きる上の大前提は「生きることには意味がある」だと言ってよさそうです。「どうして人を殺してはいけないか?」には答えがありました。それが「人が生きることには意味があるから」でした。しかし「どうして人が生きることに意味があるのか?」とは問えません。それは人が生きる上での大前提だからです。
 大前提というのは、それに対して「どうして?」と聞いてはいけないということです。

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