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将棋がいやになったらチェスがある、しかし… [生きる意味(その78)]

(9)将棋がいやになったらチェスがある、しかし…
 こんな譬えはどうでしょう。将棋をしていて、詰むか詰まないかの瀬戸際で、「ちぇ、どうして銀は真後ろに引けないんだよ」なんて愚痴ることがありますが、これをまともに受け取っちゃあいけません。これは「ちぇ、困ったな」と言っているだけなんですから。もし本気で「どうして銀は真後ろに引けないか?」と言っているとすれば、それは理不尽というものです。
 「銀は真後ろに引けない」は将棋の大前提ですから、それに対して「どうして?」と聞いちゃあいけないのです。「コーランに従わなければならない」はイスラム教の大前提ですから、それに対して「どうして?」と聞いちゃあいけないのと同じです。そして「一直線上にない点を通って、その直線と平行な直線が一本だけ引ける」はユークリッド幾何学の大前提ですから、それに対して「どうして?」と聞いちゃあいけないのです。
 ただ、将棋もイスラム教も、そしてユークリッド幾何学も「外部」があります。将棋がいやになってしまったら、やめちゃえばいいのです。別に将棋に義理立てすることはありません。囲碁だってチェスだってある訳ですから、そちらに乗り換えればいいのです。イスラム教だって、その教えに疑問を感じたら改宗すればいい。ユークリッド幾何学だって同じです。それが気に入らなければ、非ユークリッド幾何学に宗旨替えをすればいいのです。
 しかし、生きることとなると宗旨替えができません。

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