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気がついたらもうすでに [生きる意味(その90)]

(21)気がついたらもうすでに
 サルトルが人間と対比するのは道具で、これは人間が作り出したものですから、存在するよりも前にその本質(それが何であるか)が人間によって与えられています。でも人間が作り出したものではない自然物(その辺りに転がっている石ころやソファに寝そべっているネコ)は、人間と同じようにそれが何であるかが前もって定められているとは言えないでしょう。気がついた時にはもうすでに存在していたのです。
 気がついた時にはもうすでに存在している世界とは、先ほどの「われ」と対置される「世界」ではありません。ぼくらは「世界」と聞くと、すぐさまそれを見ている「自分」を思い浮かべてしまうところがあります。骨の髄まで認識論的発想が染み込んでいるのです。見ている「自分」と見られている「世界」という二元論の構図からどうしても離れられません。
 そこで「世界」の代わりに「存在そのもの」と言ってみましょう。気がついたらもうすでに「存在そのもの」がその姿を現しているのです。その時、見ている「自分」と見られている「世界」との分離はありません。ただ「存在そのもの」がそこにある。
 サルトルは「気がついたらもうすでに自分がこの世界の中に投げ出されている」と言いますが、ここにもすでに「自分」と「世界」の分離があります。「世界」という虚空の中に漂う「自分」というイメージ。しかし「気がついたらもうすでに存在そのものがその姿を現している」ところでは、もはや「自分」も「世界」もありません。

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