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「悲しい!」と「悲しむ」 [生きる意味(その93)]

(24)「悲しい!」と「悲しむ」
 悲しみを例に話を具体化しましょう。ぼくらは悲しみと聞くと、すぐ「誰かの悲しみ」と思ってしまいます。前にも述べましたように(第2章)、悲しみを一人ひとりの心の中に閉じ込めてしまうのです。でも、よくよく見てみますと、悲しみは誰かの心の中に閉じ込められているようなものではなく、みんなに開かれているのです。
 なのに、どうして「誰かの悲しみ」と考えてしまうのかと言いますと、「悲しい!」を「する」ことと捉えてしまうからです。確かに「悲しむ」という動詞があります。「彼は一人息子を交通事故で失い、ひどく悲しんでいる」などと言います。
 こんなふうに考えますと、悲しむという行為があり、そうした行為がある以上、それをしている誰かがいるということになります。こうして「一人息子を亡くした父親の悲しみ」が生まれてくるのです。
 でも、「悲しむ」とは悲しみを「表す」ことです。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、という考え方があります(ジェームズ=ランゲ説と言います)が、ここで言う「泣く」ことが「悲しむ」ことです。このように悲しみを「表す」ことは確かに「する」ことですが、悲しみが感じられることは決して「する」ことではありません。 
 ついでに「喜ぶ」についても考えておきますと、これも喜びが感じられることではなく、喜びを「表す」ことです。「彼が無事帰ってきて、ぼくらは手を叩いて喜んだ」というのは、「手を叩いて喜びを表した」ということです。喜びが感じられるという行為などはなく、喜びを表現するという行為があるだけです。「憎む」や「怒る」など、同じような例をいくらでも上げることができるでしょう。

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