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「生きる意味なんてどこにあるのさ?」 [生きる意味(その95)]

(26)「生きる意味なんてどこにあるのさ?」
 女子高生のつぶやき、「生きる意味なんてどこにあるのさ?」からスタートしました。そしてそれがナンセンスでないとすれば、実は「生きる意味が感じられないよ!」という訴えに他ならないことを確認し、それにどう答えられるかを考えてきたのです。
 そして、「生きる意味」については「感じられる」と言い、「知っている」とは言わないことから、「感じられる」と「知る」とはどう違うのかを検討してきました。その結果をまとめますと、
       「感じられる」        「知る」
       ・受動的          ・能動的
       ・必然            ・自由
       ・無人称          ・人称性
       ・主体と客体が未分離 ・主体と客体の分離
と、こんなところでしょうか。
 ここまで来まして、「生きる意味」については、それを「感じられる」と言い「知っている」と言わない理由がはっきりします。まず「生きる意味」は「他者」からの贈り物ですから、はじめから受動性がまとわりつきます。自分で調達できるものではないからです。
 ですから選択の余地はなく必然的です。気がついたら否応なく与えられているのですから。そして「生きる意味」には人称がありません。「悲しみ」に「ぼくの悲しみ」「きみの悲しみ」がないように、「生きる意味」に「ぼく」も「きみ」もありません。

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