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ことばが「ある」と、ことばが「届く」 [生きる意味(その97)]

          第4章 「生きる意味」は届くもの
(1)ことばが「ある」と、ことばが「届く」
 前章の最後に、「ぼくには“生きる意味”が届いているから、きみにも届いていないはずはない」と言いましたが、この「届く」ということについて考えてみましょう。
 ことばは「生(なま)もの」だと思います。腐るのです。ある時、ある場所で話したことばは「生きていた」のに、同じことばをしゃべっても、別の時、別の場所では「腐っていた」という経験をすることがよくあります。
 学校の教師というのは、同じ話をいくつかのクラスでしなければなりませんが、あるクラスで生徒に「届いた」という感触を得て、「よし」と気負いこんで別のクラスでやってみると全然届かない、ということがちょくちょくあります。
 これは、ことばというものはどこかに「ある」ものではないということを意味します。例えばここにコップがありますが、これは割れてバラバラにならない限り、いつでも、どこでも、どんな状況においても「あり」ます。ですから、いつでも、どこでも、どんな状況でも、必要な時にこのコップで水を飲むことができます。
 同じように、もしことばがぼくの話の中に「ある」のでしたら、それはいつでも、どこでも、どういう状況でもぼくの話の中に「ある」でしょう。ですからテープに採っておけば、必要な時に取り出すことができます。
 ところが、先ほど言いましたように、ある時誰かに確かに届いたのに、別の時、別の誰かには全く届かないのです。分からないのではありません。言ってることは分かっているのだが、心に響かない。としますと、ことばはどこかに「ある」ものとは言えなくなります。それはある時誰かの「心に響く」ものであり、「心に届く」ものだということです。

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