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真実のことばを「手に入れる」 [生きる意味(その99)]

(3)真実のことばを「手に入れる」
 ことばは、どこかに「ある」ものではなく、誰かに「届く」ものだと言いました。そして誰かに届くのは、そのことばに心があるからであり、いや、そのことばが心そのものだからだと。ところが、ぼくらはどうかすると、真実の「ことば」がどこかに「ある」と思い、それを「手に入れよう」とします。
 こんなことを言うのはかなり気恥ずかしいのですが、ぼくは若い頃「永遠の真理」を求めていました。「永遠の真理」に飢えていたと言った方がいいでしょうか。孔子のことばに「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というのがありますが、まさにそんな心境でした。実際、ぼくはこのことばを大きく墨書して机の前に張り出していました。まあ今から振り返れば、若気の至りというのか、何とも大げさなことを、といった感じですが、当時は真剣そのものでした。
 林郁夫という人を思い出します。地下鉄サリン事件の実行犯の一人です。彼が獄中で書いた『オウムと私』という本を読んだことがあります。お世辞にも読みやすい本とは言えませんが、ぼくにはとても興味深かった。
 彼は昭和二十二年生まれで、ぼくと同い年ですが、彼も高校時代にぼくと同じようなことを考えていたようです。「あゝ、彼もまた…」と思いました。彼も「永遠の真理」を手に入れようとしていたのです。それを手に入れさえすれば、世界が一変するような、そんな真理を求めて、彼はオウムに入っていったのです。

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