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ぼくはと言うと [生きる意味(その100)]

(4)ぼくはと言うと
 ぼくはと言いますと、高校を中退して禅寺に入ろうと思いました。高校3年の時です。くだらない受験勉強などやめて、直ちに真理探究の修行をしたいと思ったのです。ぼくの頭を去来していたのは、永平寺で厳しい修行に打ち込む雲水の姿でした。これまた本当に世間知らずで何とも恥ずかしいのですが、まあとにかく一途でした。
 で、すったもんだの末、恩師に諭され、大学の哲学科に進むことにしました。しかし大学の講義からぼくの求めるような真理が与えられるはずがありません。大学に幻滅したぼくは、あっちうろうろ、こっちうろうろと、どこかにあるはずの真理を求めて彷徨っていました。その時、真理はどこかの本に書かれているはずだ、と信じて疑いませんでした。どこかに書かれているのは間違いない、問題はそれがどこに書かれているかだと。
 あの釈迦もまた真理を求めて出家したのでしょう。彼29歳の時です。王子としての地位も財産も家族も何もかも捨てて苦行の生活に入りました。修行中の釈迦を造形した仏像を見たことがありますが、もう骸骨かと見紛うばかりに痩せこけた釈迦です。「ここまで!」と思わせるような修行を重ねるのですが、しかし解脱できませんでした。
 で、彼は6年に及んだ苦行を突然打ち切ります。これはかなり思い切った決断だったと思います。そして静かに菩提樹の下に座って瞑想した。その時です、彼が確かな真理に目覚めたのは。

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