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また「する」と「いる」 [生きる意味(その103)]

(7)また「する」と「いる」
 「煩悩からの解脱」と「生活の改善」。これだけではまだ違いがはっきりしません。どちらもぼくらが生きていく上での問題点を解決しようとしています。その意味ではどちらも実践的な真理を求めているのです。ただ一方は「こころ」に、他方は「モノ」に関係しているとは言えそうです。
 しかし、「こころとモノ」という対比は便利だけど、分かったようで、よく分からない。そこで、「する“do”」ことと「いる“be”」ことという例の区別をもう一度持ち出したいと思います。「えーと、何だったっけ?」という声が聞こえてきますので、ここで少しおさらいをしておきましょう。
 ぼくは今ワープロのキーを叩いていますが、これはもちろん「する」ことで、キーを叩くのをやめてただボーっとしていても、それも「する」ことです。ボーっと「する」のですから。じゃあ、「いる」って何なの?ということになりますが、それらすべての「する」ことが可能となる前提条件が「いる」ことです。すべての「する」ことが、その上で起こる<場>と言えばいいでしょうか。
 ぼくがキーを叩いたり、自分の部屋でボーっとしたり、その他ありとあらゆる「する」ことは、ぼくが「いる」からこそのことです。いのちあっての「ものだね」と言いますが、ありとあらゆる「する」ことは、「いる」ことあっての「ものだね」なのです。

 「ふむ。思い出したけど、どうしてもっと普通に“行為”と“存在”と言わないの?“する”と“いる”より、その方がよほど分かりいいと思うけど。」
 「いや、それでもいいんだけど、どうも手垢がついている感じがして…。“行為”はいいとしても、“存在”と言うと、あるもの、例えばぼくという形あるものをイメージさせてしまうだろ。“いる”ことと言えば、そういう実体化が避けられると思うんだよね。」
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