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わたしだけの救いはない [生きる意味(その107)]

(11)わたしだけの救いはない
 ぼくが「いる」ことに関わる真理を手に入れることができたとしましょう。お陰でぼくは煩悩から解脱できます。しかし、ぼくの妻がその真理を手に入れることができず、日々苦しんでいるとしたらどうでしょう。ぼくはそんなことには関係なく涅槃の境地を楽しむことができるでしょうか。もしできるとすれば、もはやぼくと妻の関係は切れていると言わざるを得ません。

 「きみが手に入れた真理を、きみの奥さんも手に入れられるように手助けしてあげればいいじゃないか」 

 ごもっとも。で、ぼくが手を差し伸べて妻も煩悩から解脱できたとしましょう。でも、ぼくの周りには無数の人々が煩悩の苦海を浮き沈みしています。その人たちの苦しみをよそに、ぼくはひとり涅槃を楽しめるでしょうか。
 こんなふうに考えますと、ぼくが真理を手に入れ救われるということはもう原理的にあり得ないということになります。もしそういう救いがあるとすれば、その救いにはどこかごまかしがあります。
 大乗仏教の教えのエッセンスは、「わたしだけの救いはない」ということです。もっと言うと「救いにわたしもあなたもない」ということです。阿弥陀仏の誓願は「生きとし生けるものがみな救われるまで、わたしも救われない」ということでした。

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