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蜘蛛の糸 [生きる意味(その108)]

(12)蜘蛛の糸
 ぼくはこれまで高校生たちに大乗仏教とは何かを教える時、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を持ち出したものです。この話は「わたしだけの救いはない」という教えを非常に分かりやすく伝えてくれるからです。
 悪の限りを尽くして地獄に堕ちたカンダタが生前一つだけいいことをしました。踏み潰そうとした蜘蛛を「これも小さいながら一つのいのち」と助けてやったのです。そこで、お釈迦さまがカンダタを地獄から救い出してやろうと、極楽から蜘蛛の糸を垂らしてやります。カンダタは助かったとばかり、その糸にしがみつき極楽を目指して這い上がります。
 途中一休みして、ふと下を見ますと、ものすごい数の地獄の住民たちが一列になってその糸をよじ登ってくるではありませんか。カンダタはその重みで糸が切れるのを恐れ大声で叫びます、「これはオレの糸だ、みんな下りろ」と。その時です、今までびくともしなかった糸がカンダタのところでプツンと切れてしまった…。これは「自分だけの救いはない」という大乗の教えを見事に表現していると思います。
 でも、ぼくにはこの話に不満があるのです。確かにカンダタは「わたしだけの救い」を求めたから糸が切れたのですが、しかしその糸を垂らしてカンダタを救おうとしたお釈迦さまはと言いますと、極楽におられます。これは何かおかしくないでしょうか。カンダタをはじめとする多くの悪人は地獄で苦しんでいるのに、お釈迦さんは極楽でいい香りがする中を、妙なる音楽を聞きながら池のほとりを散歩しておられる。これはどこかおかしい。

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