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所有するということは孤独であるということ [生きる意味(その111)]

(15)所有するということは孤独であるということ
 キリスト教の神はこの世界の造物主で、この世界の所有者ですが、悲しいかな、神はこの世界の一員として共にこの世界を楽しむことはできません。外から寂しくこの世界を眺めるしかないのです。
 同じように、ぼくが何かを所有しますと、ぼくはそれに対して絶対的な権力を持ちますが、しかし残念なことに、その一員になることはできません。
 こんな想像をしてみましょうか。ぼくが100人の奴隷を所有しているとします。ぼくは彼らに対してどんなことだってできるでしょう。ぼくの持ち物ですから。でも絶対できないことがあります。それは彼らの仲間として共に生きることです。所有するということは孤独だということです。
 ぼくが何かを所有したらぼく自身がそこからこぼれ落ちると言ったのはそういう意味ですが、これは考えてみますと当たり前のことです。ぼくが何かを所有するということは、ぼくとその何かとは別ものだと宣言することに他なりませんから。
 ぼくが真理を所有しますと、ぼくはその真理からこぼれ落ちてしまう。つまり、その「真理を生きる」ことはできなくなります。所有した真理を記憶し、利用し、教え、その他どんなことでもできるでしょうが、絶対できないのが、その真理を生きることです。
 ところが、「いる」ことに関わる真理は、それを生きることができなければ何にもなりません。

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