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嘘つきのクレタ人 [生きる意味(その116)]

(20)嘘つきのクレタ人
 ぼくは外部から「万有引力の法則」を眺めることができます。しかしぼくは「縁起」の外部に立つことはできません。それを外から眺めることはできません。もし外から眺めることができるとしますと、眺めている「ぼく」は、眺められている「みんな」から引き離されて、あれれ、「みんなひとつ」ではなくなってしまいます。ぼく以外のみんなはひとつにつながりあっているのに、ぼくだけは一人寂しくそれを眺めている。これは「縁起」の法に反します。
 「嘘つきのクレタ人」を思い出します。あるクレタ人が「クレタ人は嘘つきだ」と言ったとしますと、困ったことになってしまいます。「クレタ人は嘘つきだ」が正しいとしましょう。そうしますと、そう言っているクレタ人も嘘つきですから、「クレタ人は嘘つきだ」は正しくないということになります。
 このパラドックスを避けようと思ったら、そのクレタ人はこう言わなければなりません、「ぼく以外のクレタ人は嘘つきだ」と。同じように、「みんなひとつにつながりあっている」も、先の矛盾を避けようと思ったら、「ぼく以外のみんなはひとつにつながりあっている」と修正しなければならないでしょう。しかしその修正は「縁起」の肝心要の部分をぶち壊してしまいます。このぼくがみんなとひとつにつながっていなければ、その「縁起」とはいったい何でしょう。気の抜けたビールのようなものと言わなければなりません。

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